歴史

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1&D STORY vol.最終回 「いい店作り」への飽くなき思い〜2007年ー現在〜

外食と小売が順調に会社を支え、 株式上場を控えていた矢先、健次が倒れた。病室でいろいろなことが頭をかけ巡ったが、 そこで考えついたのが―「会社分割」。創業から五十年。この絶え間ない時間の中で大切にしてきた思いとは…

意識した『死』と会社分割。

平成19(2007)年、夏。健次は多忙な日々を送っていた。
焼肉食べ放題業態『ワンカルビPLUS』が非常に好調で、従来の単品店舗から食べ放題店舗への変更を推進している真っ只中にあった。それに加え、前年末にオープンしたしゃぶしゃぶ食べ放題業態『きんのぶた』は夏場だというのに着実な伸びを見せていた。懸案だった外食事業は会社を支える大きくて太い、頑丈な脚になりつつあった。
そして、長年夢に見ていた株式上場を控え、さまざまな準備に追われていた。

そんなある日、定期健康診断を受けた健次は、医師にこう言われた。「食道ガンですね。どれくらい進行しているか調べるために、もっと大規模な病院で検査を受けていただけますか」
突然の告知。健次は生まれて初めて『死』を意識した。

やり残していることはたくさんある。外食は軌道に乗ったとは言え、もっとブラッシュアップしていかなければいけない。それに今度は小売の方もテコ入れをしなければ……俺はまだ六十代半ば。こんなところで死んでたまるか!
健次はとにかく病気を治すことに集中した。再発率が高いと言われている食道ガンを抱えたまま、上場会社の社長という激務は到底こなせていけない。「もしものこと」があったら……そう考え、念願の株式上場は諦めざるを得なかった。

数日後、改めて精密検査を受けると、医師からこう告げられた。
「ステージⅢぐらいでしょう。生存率は50%くらいかもしれません……」
生存率50%……。それでも生きる希望を失わなかった健次は抗癌剤治療、さらに手術を受け、無事成功した。
クリスマスを前に会社へ復帰したが、恰幅の良かった体格は20キロも落ち、壮絶な闘病であったことが見て取れた。

年が明けて平成20(2008)年1月4日。健次は役員を前にして、これまで入院生活で考えていたことを打ち明けた。
「外食と小売、会社分割をする!」
この話を突然聞いた役員は全員、目を見開き、驚きを隠せない表情をしたが、瞬く間に広がり、会社分割の取り組みがスタートした。
「外食はこれからますます店舗も増えていくので、大きく伸びていく成長性のある事業。一方、小売は安定性のある事業だ。これらの事業を別々にし、それぞれがその業界に応じた中で発展していけばいい、そう決めたんだ」

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肉屋のデータに裏打ちされた『きんのぶた』

会社分割の動きを進める一方で、健次はもう一つの業態である『きんのぶた』の確立を目指し、邁進していた。

平成18(2006)年12月、鳳北店をオープンさせたが、業態としては未知数であった。関西であまり馴染みのない豚肉を使ったしゃぶしゃぶは流行らないのではないかという否定的な意見もあった。また、季節与件のある鍋物を年中扱うことにも難色があった。
健次もその不安はあった。しかし、「値ごろ」を出すには、牛肉より豚肉を選び、なおかつブランド豚「和豚もちぶた」を使用することを決めた。
この決定の裏には「肉のダイリキ」ならではの、蓄積されたデータが生かされている。過去には圧倒的に牛が販売比率の大多数を占めていたが、近年、豚の販売比率が増加したというデータが手元にあった。
「牛のしゃぶしゃぶは高級なイメージがあるが、豚のしゃぶしゃぶは手頃な上に、ヘルシーなイメージがある。これからは豚でも商売が成り立つはずだ。もう一つの業態として、しっかり確立させていこう!」
夏場に鍋物の売上が落ちることは容易に想像できるが、一年かけて売上は伸び続けた。健次は自信をさらに深めた。

そして、業態として確立させ、広く展開していくために、平成19(2007)年晩秋、飲食関連のコンサルタントも交えて、業態の課題・改善点をあぶり出し、業態としての考え方を再構築する取り組みをスタートさせた。
ひと目で『きんのぶた』と分かる視認性のある外観、居心地のよい内装、こだわりの食器、豊富なメニュー構成、おもてなしを目指したホテル並みの接客といった営業に直結する目に見える部分から、ロゴマーク、メニューブック、VMDなどブランディングに至るあらゆる面を半年かけて徹底的にじっくりと練り直した。

健次を含め、すべての可能性を探る議論の末、鳳北店とは全く異なった『きんのぶた』が生み出され、平成20(2008)年5月、草津追分店として姿を表した。

「お客様を思う純粋な気持ち」、私たちが受け継ぐべきDNA

平成20(2008)年10月。ついに会社分割が行われた。
ダイリキの歴史を引き継ぎ、外食事業を専業するため、社名も変更した。それがワン・ダイニングだ。

健次はいよいよ本格的に小売事業へ注力をしていこうとした矢先、平成21(2009)年春に再び病魔が襲った。脳出血。一命は取り留めたものの、文字や数字、人の名前の記憶が曖昧になってしまう障害に襲われた。自分の名前すら思い出せないという状態だった。
想像を絶する過酷なリハビリは三年も要した。
単調なリハビリを断念してしまう人もいるが、健次は懸命に受け続け、ついに現場復帰するまでに回復した。医師も「ここまで回復するとは……すごい」と目を見張ったという。「前より頭の回転は遅い。でも、自分でもよくやったなと思う。なによりも仕事をしたかった」

その後、ワン・ダイニング、ダイリキともに順調に成長し続け、ついに平成27(2015)年6月、創業五十周年を迎えた。
さらに、平成28(2016)年11月、管理部門を統合し、ホールディング化。「1&Dホールディングス」を設立し、ワン・ダイニング、ダイリキはその100%子会社として、事業会社化した。
両社の良さ・強みを相互に共有し、さらに成長し続けていくことを目的としている。

創業者・髙橋健次はこう語る。
「商売を始めてから、とにかく『いい店を作りたい』ということばかりを考えてきた。会社が大きくなっても、この思いに変わりはないし、もっと良くしていきたいと思っている」
その原点はパリで見た『ベルナール』。肉屋とは思えないほど、広くて清潔感溢れる明るい店内。整然とされながらも購買意欲をそそる陳列、豊かな食文化を感じる品揃え……健次の心にはこうした見た目だけではなく、仕事に誇りを持って働く従業員の堂々とした振る舞い、店全体から醸し出される活気ある雰囲気などが今も鮮烈に残っている。
「自分もこんな『いい店』を作っていきたい!」こんな純粋な思いを持ち続け、常に店を見直してきた。「『いい店』が集まって『いい会社』になる。いつもそう考えている」

経営理念『価値ある経営』。「価値」とは「必要とされ続けること」と定義されている。事業は異なるが、1&Dホールディングス、ワン・ダイニング、ダイリキそれぞれが「いい店・会社」作りを目指し、お客様、お取引先様、そして仲間から必要とされ続ける店・会社への思いを脈々と受け継いでいる。

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