時は前後するが、平成18(2006)年初頭。外食事業の営業メンバーは追い詰められていた。
毎週のようにさまざまな業態の可能性を探るミーティングを重ねていたが、妙案は浮かばなかった。それというのも全員が全員とも口には出さなかったが、あえて議論を避けていた業態があったからだ。それが食べ放題業態。
「『最終兵器《リーサルウェポン》』と呼んでいました。手を出したら最後だという共通認識でしたね」と当時、ブロック長として現場を指揮していた社員Aは言う。別のブロック長・Bも同調した。「食べ放題といえば、プライドのない業態だという印象でしたから」
しかし、その年の春、健次とともにある焼肉食べ放題店へ行ってから全員の思いが一つの方向へと向かっていった。
自分たちならもっと良い業態へと創り上げることができるとAは食べ放題業態を前向きに捉え始めると、Bも「これで絶対に会社が変わる」と思った。しかし、その反面で「だめだったら、全てが終わりだ」と非常に強い危機感を持ったのも事実だ。
店長だったCは担当ブロック長Aから住道店店長就任の命を受けた。 「『一号店を任せてもらえる』という喜びを感じ、そして『手切り』という新たな取り組みは前向きに挑みました」
肉の手切りと聞いて、Cは「簡単だろう」と実は軽い気持ちでいた。しかし、研修を受けて、その考えを改めなければならなかった。肉にはそれぞれ特性・状態があり、一定のものがない。「これはエライことになってしまった」と気を引き締めた。
カット指導は小売で経験を積んできたベテラン社員が先導したが、カルチャーショックを受けたと言う。「小売では包丁を命の次に大切に扱っていましたが、外食ははさみ程度の扱い……こういう意識の社員に指導するのかと、絶望感を味わいました」
研修は住道店で、時間があれば、そのたびに行われた。住道店の店舗社員は厳しい研修に無我夢中で食らいついていった。「新しい技術が身についていくということで、むしろ楽しんでいました」とCは当時を振り返る。そうした甲斐もあり、短期間でカット技術の基礎を身につけることができた。
店内でカットされた肉は、明らかにパックの肉と見ただけで鮮度が違うということが分かる。
すなわちその違いはお客様も感じ取っていたはずだ。
そして、もう一つ、手切りを実施した上で大きな効果があった。それはCの言葉が全てを代弁している。
「今まで自分の仕事に誇りを感じることはありませんでした。でも、自分が切った肉をお客様が召し上がってくださる姿を見て、自分の存在価値を認めてもらえた気がしますし、仕事に誇りをもてるようになりましたね」
仕事に対するプライド―何物にも代え難い、貴重な心の拠り所を得たのである。
「ワンカルビPLUS」を展開していく裏で「産みの苦しみ」があった。
チェーン展開をさせていく上で、店舗が増えていくほどに手切りされた商品のブレが目に余り、ブロック長は怒りながら巡回を行っていた。また、奈良に新店を立ち上げる際には、今のように近隣店舗が食べ放題ではなかったこともあり、生駒山を越えて大阪へと研修に出かけるようなことまで行っていた。
「今思えば、無茶苦茶ですよ(笑)。でも、その分、業績も大きく変わったし、やればやった分、お客様からは笑顔で『また来るわ』という声も増えたので、やる気もドンドン湧いてきましたよね」とAは充実ぶりを話す。
Cは店舗でその変化を肌で感じ取っていた。「以前はそれほど忙しくなく、苦痛だと思いました。業態が変わってからは一気に物量と来客数も激変した。なによりもお客様は『食事を楽しみに来店されている』ことが雰囲気として伝わりました。口では『忙しい、大変だ』と言いながらも、どこかで楽しんでいましたね」
これまで想像もしなかったトラブルにも見舞われたが、Cは「しんどかったけれど、ブロック長や店長みんなで『自分たちの食べ放題業態』を作り上げていく喜びが勝っていました。あの頃があるから今があると思っていますよ」と充足感の思い出が強いと言う。
お客様に必要とされる店舗―経営理念にもある『価値』という言葉をそれぞれの社員が体感し始めた時期でもあったと言える。
住道店以降、平成19(2007)年年度末までには、25店舗を一気に業態変更を行い、10店舗の新規出店を行った。その結果、売上は約46億円から約72億円と1.5倍にまで急成長を遂げた。
「食べ放題なのにハイクオリティ」と言われるほど、「ワンカルビPLUS」は食べ放題の常識を覆したという評価を得ていた。
この頃のことでBは印象的な出来事があると紹介してくれた。 「店長会議で社長(当時)が『ウチは肉屋や』と強調されたんですよ」
外食を何年かやってきたが、肉屋としてのこだわりがこれまで足らなかったと思う、食べ放題業態や手切りを実施する中で、外食社員が小売社員と同じくらいのレベルで肉に対するこだわりを持つことが当社の価値につながる、というものだった。「外食と小売は業が違うので、普通は結びつかないものなのですが、会長の頭のなかでは一つなんだなと思いました」
Aも改めて肉屋としてのノウハウや技術を実感していた。「ダイリキという歴史があったからこそ、自分たちは今、ここにいられるのだと思います」
陣頭指揮を執ってきた健次は「みんなの思いが強かった」と語る。
「お客様は正直。手を抜けばすぐに見破る。でも、ここまで業績が改善し、成長できたのはブロック長や店舗社員が『お客様』という存在を理解し、本気で意識し始めてきたからだと思う」
それまで健次は競争力のある店を作ることを念頭に置いていた。肉屋の技術が生かされた「ワンカルビPLUS」は業績という確かな裏付けによって競争力のある業態ということを証明した。 そして、営業の社員全員が口をそろえて言うのは、「ここまで(全店)展開するとは思わなかったし、スピードも早かった」。
健次の推進力の強さや早さは彼らの想像をはるかに超えていた。しかし、これまで「じっくりと考えて、実行はスピード感を持って」きた健次の経営手腕をもってして、「ワンカルビPLUS」を展開していく上で、その真骨頂が存分に発揮されたのだ。
さらにもう一つ、健次は取り組むべき仕事があった。
同じ頃、実験店舗としてしゃぶしゃぶ食べ放題業態『きんのぶた』を大阪・堺にオープンさせた。
鍋物の売上が下がると言われている夏場になっても売上は安定していた。健次はこのしゃぶしゃぶ業態に勝機を見出し、新たな業態として展開させるべく、本格的なブランドとして確立するために注力していくこととなった。