歴史

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1&D STORY vol.9 強みを最大限に活かしたワンカルビPLUSの誕生 〜2006年 前編〜

立て直しを図ってきた外食事業。絶対的な強みを活かし、他社に負けない業態を作りたい―。エポックメイキングとなった2006年(前編)を紹介します。

自分たちのやり方で、生み出した業態の開発。

外食事業の立て直しを図るべく、メニュー変更や半数にも及ぶ店舗の改装などを進めた結果、米国産牛肉輸入停止の影響を受けながらも、売上は徐々に回復してきた。

平成17(2005)年、ダイリキは創業四十周年を迎えた。しかし、健次はこの頃、常に外食事業の行く末を案じていた。
「生き残っていくためにはどうあるべきか。もっと成長させていくにはどうすべきか。他が真似できない、ウチならではのものを築いていかねば……」
そういう思いを持ちながら、平成18(2006)年の春、健次は他社他店の情報を聞きつけ、ある焼肉食べ放題の店に足を運んだ。「この店に行って、『これだ!』と思った」

それまで「食べ放題」と言えば、価格帯はどこも1,980円。提供される商品の質はあまりよくない。メニューもそれほど豊富というわけではなく、魅力的ではなかった。
しかし、健次が訪れた店は2,980円という高めの価格帯。その分、人気のユッケも食べ放題メニューにあり、品揃えもバラエティに富んでいた。

食べ放題は「安かろう、悪かろう」のイメージがあったが、その固定観念が払拭された。「食べ放題をこの価格でするという発想がなかった」。
訪れた店を参考に、健次はさらに自分たちのやり方による新しい食べ放題業態の構想を頭の中に描いていった。「この店を参考に、『自分たちならばこの価格でもっといいものができる』という考えが頭の中で広がっていった」

オープン当日。開店前の『ワンカルビPLUS住道店』
肉屋発祥の焼肉店としての原点回帰。

どこも真似できない、競争力のある食べ放題業態へと育てていくため、商品の味や品揃えなどあらゆる面でさらに自分たちなりの視点でブラッシュアップを図った。
そして、考えに考え抜いて辿り着いた先は『原点』。つまり店内手切りという考えだった。
外食を始めた頃、健次が目指していたのが、「肉屋がやる焼肉店」だった。肉のプロであるダイリキだからこそ有する肉に対する確かな眼、そして歴史によって積み重ねられてきた技術とノウハウ――。忘れていた『原点』へもう一度戻ろう。原点とは、つまりは他にはない、ダイリキの絶対的な強みだと健次は確信していた。

しかし、事は簡単には運ばなかった。当時、使用する肉は外部業者がカットしたものを店舗に発送納品していた。これは「セントラルキッチン方式」と呼ばれ、チェーン店であれば一般的な方法であった。裏を返せば、店舗社員は肉を見抜く眼を持っていなかったし、カット技術などもなかった。健次はある策を打ち出す。小売経験がある社員を転籍させて、外食の店舗社員へ技術指導を行わせた。カット技術だけではなく、肉そのものを見る眼も養わせた。ダイリキのDNAを継承させる大きな取り組みを行った。
当初、包丁をハサミ程度にしか考えていなかった店舗社員の、包丁に対する考え方に担当社員は唖然としながらも、根気強く指導を行った。
店舗社員も体力的な疲労を抱えながらも、指導してくれる社員の熱い思いに応えていきたい、そして外食を盛り立てていきたいという熱意を持って技術の習得に励んできた。
この『原点回帰』は、外食事業、のちのワン・ダイニングを大きく支える原動力となったことは言うまでもない。

また、食べ放題といえば、接客は二の次になりがちで、なおかつバイキング形式ではお客様自らが商品を取りに行くものだった。しかし、健次が考えたのはお客様がテーブルにいながら商品を注文する「フルサービスバイキング」。
一般的に食べ放題とは人件費をかけない業態だが、価格以上の価値を感じていただくためには、接客にも他社他店とは違う部分を際立たせていくことが大切だと考えた。
ここにもこれまでの食べ放題の概念を打ち破る、他とは違う新たな形を考えた。

ワンカルビPLUS、オープン!

ついに平成18(2006)年6月29日、住道店が焼肉食べ放題業態の『ワンカルビPLUS』としてリニューアルオープンした。
健次が店に着くと、お待ちいただいているお客様はすでに長蛇の列。階上のエントランスから階段、さらには駐車場にまで溢れ出ていた。「すごい……大当たりやないか!」
その上、お帰りになられるお客様は全員、満足そうな笑顔だった。

技術指導を通じた社員の努力と思いの結晶、そして「新しい食べ放題業態を作る」と徹底的にやり抜いた結果、ワンカルビPLUSが成功したことを確信させる光景だった。
「業績はもちろんだけれども、それ以上に、肉に対する思いなどがまるっきり変わった」
その後、既存店は食べ放題業態への変更へ、驚くほどのスピードで一気に推し進めていった。

50年の歩み