歴史

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1&D STORY vol.4 「新しい肉屋を作る!」という大きな夢が成長の原動力に 〜1980年代前半〜

固定概念を打ち破り、「新しい肉屋を作る」という大きな夢を思い描き、これまでにない肉屋を実現することになった。1980年代前半、ダイリキが飛躍的に成長を遂げた時代をお伝えします。

焼肉商材だけではなく、牛・豚・鶏・加工品も扱い始めた本店の売上は順調に伸び続けていた。それに手応えを感じた健次はさらなる手を打った。
それは、これまでになかった大きなスケールの肉屋を作ることだった。

当時、日本の肉屋と言えば、十坪ほどの狭小スペースに陳列ケースを出して営んでいるところが多かったが、ダイリキでは、五十坪クラスの店舗を、まずは本店で実現させた。店内はお客様がゆったりと落ち着いて買い物ができる広さだった。これほどまでの大きさの肉屋はあまり例がなく、「これが肉屋か?!」という驚きを与えるほど、まったく新しい肉屋の姿を形作ったのである。

それに伴い、出店戦略も大幅に変更。これまでは市場を中心に出店していたが、大規模な店舗を構えるにあたり、市場では収まりきれなかったからだ。そして、人が集まる場所として浮かんできたのが、活気あふれる地元の商店街だった。以降、市場を飛び出し、商店街への出店を積極的に推し進めていった。
また、店舗が大きくなることで、豊富な品揃えが実現できた。牛・豚・鶏・加工品・焼肉商材だけではなく、コロッケや唐揚げなどのフライ惣菜や肉にまつわる関連商品なども取り揃えるほどの充実さを誇った。お客様からも「ダイリキに行けば、なんでも揃うし、価格も手頃」とご支持を頂いていた。
これも全ては健次が思い描いていた『これまでにはない、新しい肉屋を作っていきたい』という大きな夢があったからだ。パリで受けた衝撃は大きく、世界各国の肉屋の状況を見聞きするたびにその思いをますます募らせていった。
そして、その夢は実現し、これまでの業績を遥かに凌ぐケタ違いの数字を記録していった。

創業から二十年ほどの月日が経ち、出店は大阪だけに留まらず、関西一円にまで拡大した。ダイリキにとって着実に、そして、ダイナミックに成長を遂げて、大きく躍動した時代と言えるだろう。健次自身も名実ともに経営者として大きな自信を深めていった時期にも当たる。

(左)豊富な品揃えで売上も伸びた (右)肉屋とは思えない大きな店構え